海眼寺観音堂彫物について
皆さまご存じのように、海眼寺の境内の正面には観音堂があります。
幕末の水害で損傷しましたが、明治21年に再建されました。その正面には寺社建築特有の彫物があります。この彫物の作者が「安井安右衛門義一」であることも記されています。
福知山史談会顧問の塩見昭吾氏によれば(※1)、「相野安右衛門儀一」ないしは「安井安右衛門義一」は、福知山市京町に住んだ彫物師で、幕末から明治中期にかけて活躍しました。宮津、舞鶴、夜久野の神社や、海眼寺近くの法鷲寺(※2)にも彫物が現存しています。
「相野安右衛門」と「安井安右衛門」が同一人物かは議論があるようですが、残された彫物の特徴や銘文からしても、両者が同門であることは間違いないようです。海眼寺の彫物は「安井安右衛門」の作品の中でも後期のもののようです。
福知山近辺では、三和町の大原神社や奥野部長安寺、寺町久昌寺に精緻な彫物を残した丹波柏原の彫物師・中井氏が有名です。また相野といえば、だんじりの地車彫物で驚異的な作品を残した大坂の相野一門が知られています。「相野安右衛門」もこの大坂の相野一門の流れなのかもしれません。
※1)塩見昭吾「京町の彫物師相野について―相野安右ヱ門義(儀)一」(『史談福智山』第564号・平成11年3月)
同「京町の彫物師相野について(補遺)」『史談福智山』第569号・平成11年8月)
※2)嵐光澂「―塩見昭吾氏発表―京町の彫物師相野についての補遺」(『史談福智山』第667号・平成19年10月)
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